第1章【9】



「私ここにいるよー!ここー!」
「ここだよ!ここ!」
2人の声が聞こえる。
1人はランカの連れ、もう片方の声は間違えなく莉世だ。
「おかしいね、見当たらないよ」
きえは迷路の中を高い位置からぐるっと見渡した。
「おいミナカ」
ランカは声を張り上げた。
「なーにー?」
「おまえ黒髪の男が見えるか?」
「うーん…あ、見えるよ!そこのお兄さんこっちこっち!後ろ!」
「後ろ?」
まさかと思いながらも桃太たち4人は急いで迷路の外に飛び出した。
そこで目にしたものは壁に張りつき、しきりに叫ぶ2人の姿だった。
「莉世!」
「こーちゃん!」
莉世がこびわに飛びつくと、オレンジ色の髪の女もランカの元に駆け寄った。
「心配した?」
「当たり前だろ」
ランカは女の額を軽く弾いた。
「まさか迷路を抜けだしていたとはね」
きえは苦笑しながらそう言う。
「ほんとうね、でも2人とも無事で良かったわ」
「あなたがこびわちゃん?」
ほっと胸をなで下ろすこびわに女は話しかけた。
「莉世から聞いたんだ、すごく優しいお姉ちゃんがいるって」
「優しいなんて、そんなこと無いわよ」
こびわは恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「あ、私のことはミナカって呼んで!」
女は無邪気にほほえんだ。
長いまつげにとろんと垂れた青く甘い瞳、愛らしい薄い唇、ぴょんっと外にはねたオレンジ色の髪、まるで人形のようだ。
「あのさ、折角こうやって会えたんだし・・・一緒に遊ばない?」
ミナカはこびわの手を取った。
「私もこびわちゃんと友達になりたいの!」
「馬鹿言うな、迷惑だろ」
注意を促したのはランカだ。
「でも」
「相手の都合を考えろ。それに俺たちだって遊んでいる暇はねーだろ」
「じゃあ私たちこれからどうするの?」
ミナカはこびわから手を離した。
「私たち知らないところにいるんだよ、帰り方も分からない。今までいろんな人に話しかけたけどみんなに無視された。でもこびわちゃんたちは違うよ!ちゃんと話ができるもん!もしかしたら・・・」
ミナカの言葉は消えるように小さくなった。
それもそのはず。あの扉が忽然と現れたのだ。
園内に設置されているスピーカーから閉園を知らせるアンダンテ調の音楽が流れ始めた。
ドアノブにぶら下がったプレートには「Seeyou!!」と記されている。
これらはまるで『帰れ』と言っているようだった。
「残念だけどもう帰らなくちゃね」
こびわは言った。
「こびわちゃん帰っちゃうの?」
ミナカは泣き出しそうだ。
「遊園地では遊べないけど別の場所で一緒に遊びましょう」
「ここで別れたら私たちきっともう会えないよ」
「ここで別れたら、でしょ?」
「どういうこと?」
「驚くかもしれないけどすぐに分かるわ」

「ここどこだ?」
新しい入居者たちはフローリングの上で棒立ちになっていた。
「僕たちのおうち!お兄ちゃんも今日から一緒っ!」
莉世はにーっランカに笑いかけた。
「俺も?」
「ミィちゃんもお兄ちゃんも僕たちの仲間だよ!」
ランカは莉世の言葉が全く理解できなかった。
それを見かねてきえは言った。
「空間移動かな簡単に言うと。僕たちは空間移動をして遊園地からここに戻ってきた」
「空間移動って、そんなマンガみたいな事あるわけないだろ」
「あるんだよ」
きえは断言した。
「確かに現実的に考えるとあり得ないことだよね一瞬で場所を移動するなんて。でも『ここ』ではそれが普通なんだ」
「『ここ』ってなんだ」
「僕も分からない。でも受け入れるしかないんだよ、どう考えたって理解できそうにもないだろ」
「それで俺たちはあんたたちとここで暮らすのか?」
「そういうこと」
ランカはいまいち納得がいかないようだった。
「すごーい!魔法みたいだね!」
その一方でミナカは興奮気味に叫んだ。
「どうやったらテレポートできるの?」
「ドアを開けたら」
「そうなの!?」
ミナカは桃太の言葉を鵜呑みにしてリビングのドアを開けた。
しかし何も起こらない。起こるはずもないのだ。
「あれ?」
「移動できるのは特別な扉だけなの」
こびわは言った。
「特別な扉?」
「ほら、ミナカも見たでしょ」
「あのいきなりでてきたやつ?」
「そうよ、あの扉を通して私たちは遊園地に行ったの」
「すごいね、魔法みたい」
ミナカは同じことをまた口に出した。

顔を洗い終えると、こびわは自室に戻った。
用意された化粧水を優しく肌に吸着させドレッサーの鏡をのぞき込む。
今日もいい感じ。
毎朝のこの習慣はこびわの楽しみの1つでもあった。
パジャマとして着用していた白いコットンのワンピースを取り剥ぎ着物に手をかける途中、ふと鏡に映り込んだ自身に目がいき、手を止めた。
色白で締まりのない明らかに運動をしていない身体だ。
事実こびわは運動が大の苦手だ。だから昨日ランカに引かれ無理をした代償が今日あらわれる、そう思っていた。
しかしどうだろう、予想していた強ばりは全く感じられない。
もしかすると自分は運動音痴ではないのかもしれない、と淡い期待を抱きながら中断していた作業を開始した。
着替えが終わると再びドレッサーに腰を掛けくしで丁寧に髪をほどく。艶やかな手入れの行き届いた髪がくしのすべりを邪魔することはなかった。
くしを入れ終わると両手で折角作り上げた物を破壊するかのように無造作に髪を一つに束ねた。
2階の自室から、1階へ降りると台所からリズムよく包丁が音が聞こえてきた。
台所にいたのはランカだった。
「よう」
ランカはこびわに気づくと軽くあいさつをした。
「昨日の夜はお前に任せたからな、今度は俺がするよ」
「そう・・・じゃあお願いするわ」
予想もしていなかった出来事にどうするすべもなくこびわはリビングのソファに腰掛けた。
リモコンを使いテレビの電源を入れてみたものの、全く興味をそそられない映像が映し出されたためこびわは電源をオフにした。
台所に立っている男は手際よく作業をしていた。おそらく為慣れているのだろう。
まじまじとランカの後ろ姿を観察しているとその視線に気づいたのか、ランカは出し抜けにこちらを振り返った。
「おい」
こっちに来いとランカは手招きをした。
言われたとおり行ってみるとこびわはスープの注がれた小皿を差し出された。
味見をしてくれと言うことなのだろう。
こびわはふーふーと息を吹きかけながらゆっくりとそれを口に通した。
「どうだ?」
こびわはその問いに親指を突き立てて答える。スープはとても美味しかった。
「上手ね」
「そんなことねーよ」
そう言いながらもランカは満足げにはにかんだ。
それからほんの少しだけ間を置きランカはおずおずと口を開いた。
「なあ、お前はミナカのことどう思う?」
「え?」
いきなりの質問にこびわは驚いた。
「そうね ・・・ 会ったばかりでまだよく分からないけど人懐っこくてかわいい子だと思うわ」
「嫌いか?」
「ぜんぜん。どうして?」
「あいつと仲良くしてやってほしいんだ」
ランカは少し戸惑いを見せつつ言った。
「理由は、その・・・いろいろあってな」
「いいわよ理由なんて」
きっとランカとミナカの間には何か事情があるのだろう。
今をそうする理由の大半は過去にある。そしてその事はは他人にあまり知られたくないということをこびわは知っていた。
「あなたに頼まれなくても私はそのつもりよ。だってやっと同じ歳の女の子に会えたんだもの」
「そうか、なら良かった」
「私も気になっていたことがあるの。聞いて良いかしら」
「なんだ?」
「あなたとミナカはどういう関係?」
「幼なじみだよ」
「付き合っているんじゃないの?」
それはない、とランカは嫌そうに手を振って否定した。
「ほんとにただの幼なじみだよ。生まれてから今までずっと一緒にいる」
たぶんな、ランカは小さな声でそう付け足した。


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