第2章【1-2】



「あんなに幸せそうな女性は、ひさびさに見ました」
コスタリカはぽつりと呟いた。
莉世、こびわ、ミナカはベンチに座っている。微笑みながらアイスクリームを頬張る3人は、誰が見ても幸せに満ちているように見えるだろう。
一方、桃太、きえ、ランカ、そしてコスタリカは、噴水を囲む縁石に腰掛けていた。
「あの事件が勃発してから、マリンダには活気がなくなってしまいました。この公園も日中はそれなりに人が居たのですが、最近は家に閉じこもっている人が多いです」
「元から人通りが少ない街じゃないんだね」
「はい。それほどあの事件はマリンダにとって、衝撃的なものです」
「さっきマリンダで事件が起きたことは無いって言ってたけど、それって本当なのか?」
ランカは怪訝な顔をして言う。確かにいくら歴史が浅い街といっても、現在までに何も問題が起こらなかったというのは不思議だ。
「本当に何も無いです」
コスタリカは強調して言った。
「だから他の街の警察官によく言われていました、マリンダは逆におかしいって」
「じゃあよ、そんなに平和な街で警察は何をしてたんだよ」
「落とし物を預かったり、迷子になった子どもを家に送り届けたりと、大したことはしていません。だから平凡な業務しか知らない僕たちは、今回の事件にどう対応していいのか解らず戸惑いました」
「万が一に備えてなかったのか」
桃太が尋ねるとコスタリカは、申し訳なさそうに頷いた。
「馬鹿だろ。いくら今までが平和だったとしても、この先何も起こらないとは限らない」
「桃太さんの言うとおりです。僕たちはマリンダで事件が起こるはずがないと、勝手に思い込んでいました」
さきほどの能弁な姿がまるで嘘のようだ。コスタリカはひどく落胆した。
「思い込み」というものは時として最悪の結果をもたらす。
人は幸せを手にすると、その幸せが永遠に続くようにと願う。しかし、その願いが叶わない願いであるということは、残念ながら自らも解っているのだ。生きている限り、今の状況が永遠に続くなんてことはあり得ない。
永遠の幸せなどないと、理解しているから、人は永遠の幸せを願う。
だが、そうだと解っていても、それをどうしても受け入れたくない人間もいる。そういう人は不安から逃れるために、盲目になってしまうほど、根拠も合理もない何かを信じてしまう。
例えば、この街の人間がまさにそうだろう。
コスタリカだけではなく、マリンダの警官の、マリンダの住人の、自分たちの街が永遠に平和な街であってほしいという願いが、犯罪など絶対に起こらないという根拠のない固定観念を生み出してしまったのだ。
「でも実を言うとですね、僕は心のどこかでこんな事件が起こることを、期待していたのかもしれません」
しばらく黙り込んでいたおしゃべりな男が、再び何を言い出すかと思ったらこれだ。桃太は意外な言葉に思わず縁石からずり落ちそうになった。
コスタリカの発言は、警察という、街を守るべき職に就いている人間が言う言葉ではない。
「どうして?」
きえはとくに驚いていなかった。だが警官がどうしてそんなことを言い出したのか、知りたいという気持ちは桃太と同じだ。
「僕は、ヒーローになりたかったからです。なりたかったというか、今もなりたいと思うんですけど」
コスタリカは自信なさげに語尾を言葉を濁した。
「漫画みたいに、誰かがピンチになったときに救いに現れるようなヒーローに、なりたいからです」
「でもマリンダは平和で、とうていヒーローにはなれそうになかった。だからコスは事件が起きることを期待していた、そういうこと?」
コスタリカは頷く。
「確かに、事件が起きればヒーローになるチャンスはできるね」
「でも実際に事件が起きてしまったらこの通りです。ヒーロになるって難しいですね」
「ヒーローか」
独り言のようにランカは言った。
「俺はなりたくねえな」
「どうしてですか?」
「ヒーローなんて、一方の人間にとっては正義だ。だけど一方からは憎まれ者だろ」
「一部の人にとって正義になるなら、それで良いじゃないですか」
ランカは首を振る。
「誰かのヒーローにも、誰かの悪役にもなりたくない。だから俺はできれば中立でいたいな」
「意外だね、ランカはヒーロータイプだと思っていたんだけどな」
「なんでだよ」
自分がヒーローぽいと言われたことが嫌だったのか、ランカは眉間にしわを寄せていた。
「なんでだろう…なんとなくかな」
きえはランカとは逆にあどけなく微笑んだ。普段は実年齢より上にみえるが、このときだけは純粋な少年に戻る。それが彼の特徴だった。
「そういう自分はどうなんだ?」
「僕は、ヒーローになりたいな」
「ですよね!ヒーローって憧れますよね!」
同士がいたことがよほど嬉しいらしい。コスタリカは一気にテンションをあげた。
「だけど僕はコスとはちょっと違うかな」
きえはいつもの落ち着きのある青年に戻っている。さわやかで、落ち着いた声だ。だが、その柔らかな声の裏には固い信念が隠されていた。
「コスは大勢のヒーローになりたいんだろ?僕はそうじゃなくて、1人のヒーローになりたいんだ」
「つまりそれは、たった1人の愛する恋人を守りたいということですか?」
「恋人って訳じゃないけど」
きえは大げさだなと苦笑する。
「守りたいと思った人を絶対に、確実に守りたいんだよ。僕は不器用だから、大勢を守るなんてことはことはできないんだ」
「それも、かっこいいですね」
コスタリカは唸った。
夢が人それぞれであるように、人の描くヒーロー像も様々だ。絶対にこれだけは譲れないという観念を持つきえとは違って、コスタリカのヒーロー像はあやふやだ。
あやふやな心的形象を確かにするためには、経験や周りからの刺激が必要である。
「桃太さんはどうですですか?」
予期していたように、コスタリカは意見を求めてきた。桃太は首を振って意を示した。
「桃太さんも中立派ですか?」
それにもノーを出す。
「解らない。お前たちと違って守りたいと思うものがないからな」
事実、桃太はこれといって守りたいと思う人物が浮かばない。だから誰かを助け、守り抜くヒーローになりたいかと聞かれても解らない。
「まあ今はそうかもしれませんが、きっと桃太さんも守りたい人ができたらヒーローになりたいと思いますよ」
コスタリカは桃太を勇気づけるように微笑んだ。しかし桃太はそれを受け入れることはできなかった。
守りたい人ができる?
コスタリカが言うように自分に守りたいと思うものが、誰かを守りたいという気持ちが芽生えるとは考えられない。

「4人でなに盛り上がってるの?」
気がつくと目の前にミナカがいた。ミナカはひざを曲げ、こちらをのぞき込むように立っている。片手にはアイスクリームのカップが握られていた。
「男同士の熱ーい話です」
「へえ、そう」
コスタリカの熱意のこもった返答は、あっさり流されてしまった。自分から聞いておいてその反応はひどいものだが、もしかするとミナカは、その返答を求めていなかったのかもしれない。
なぜなら彼女がわざわざこっちに来たのは、話をするためではなかったからだ。
「私の最後の一口、ランカにあげるね」
そう言ってカップからアイスクリームをプラスチック製のスプーンですくい、ランカの口元に運んだ。溶けかけだったが、アイスクリームは見るからに美味しそうだ。ランカは躊躇せず、いたって自然にアイスクリームを口に通した。
「うまいな」
「でしょ!」
2人は瞬時に意気投合した。
桃太はこの変な世界で、初めて莉世たちと出会った。だがこの2人だけは違うということは、見ればすぐに解る。
「コス君、これすごくおいしかったよ!ごちそうさまでした」
ミナカの用はそれで済んだらしい。再びこびわの隣に戻っていった。
「ランカさん、今のはいったいどういうことですか?」
コスタリカは、問いつめるように身を前に乗り出した。
「どういうことって、どういうことだよ」
「トボケてもダメですよ。何の躊躇いもなくスプーンを口に入れたってことはもしかして、2人は…」
「ただの幼なじみだ」
コスタリカが全部言い切る前に、ランカは溜息混じりに言った。そういう話は懲り懲りだという感じだ。
「あいつはあんなこと気にしねえんだよ」
「そうなんですか」
コスタリカはあっさりと納得してしまった。
こんな単純で純粋な男でも警察官になれるなんて、この街は本当に平和なんだろう。桃太は改めてそれを実感した。



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